ていうか、本当のところ、行きついたあそこがあいつの収まるべき場所だったのかわからない。つまり、あそこにいただれもぴったり収まってなんかいなかったんだ

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これは、場所の話

ショーン・タン『ロスト・シング』についてのメモ - 原題は The Lost Thing。「ロスト・シング」はちょっとひどすぎないか。 -...

「あの場所」はあのモノたちにとっての本来の居場所ではない。そもそも誰も「居場所探し」などしていない。「ぼく」はソレを処分しようとして、気を変えて、矢印を辿っていっただけのこと。

今週末の良かったこと(スーパーカップと光と直線と断片と希望の話) - copy and destroy

前近代、近代、現代のそれぞれに、場所(topian)、場所不在(utopian)、場所不全(dystopian)という語を当てた。前近代は地べたをウロウロと這いつくばり蠢くラインを地表に残す。それは生のラインでその痕跡こそが自分たちの場所だ(ティム・インゴルドはそれを「居住する」と言った)。近代的な直線は進歩的な前進でどんどんどこかに向かって進んでいく。そこには留まるべき一定の場所がない。そして現代的な断片は描かれた直線がバラバラこなごなに分断されて、すでに占めるべき場所さえ持たない

今週末の良かったこと(界隈が湧いた、開幕、もしもなにかが起きたら tumblr に居ます) - copy and destroy

ここでいうスクウォッティングには「でもここは自分の場所ではない」っていう感覚が含まれる。

月への行進へようこそ - copy and destroy

メトロノーム並の正確さで足音を響かせながら視線を右に向けるパレード中の兵士にとって、行進は輸送である。行進を逍遥する歩行と比較して、歴史地理学者のケネス・オルウィグは、行進とは「開かれた」場所なき空間――すなわちユートピアを前提としている、と主張する。行進はその後に残す場所を完全に破壊する。それに対して、逍遥する歩行は、場所に立つ(トピアン)。それは「太鼓の確固たる拍子に合わせて私たちを一直線に行進させるものではなく、螺旋状の和声進行のように、私たちに糧を与えてくれる場所に私たちを連れ戻したり、そうした場所を蘇らせたりする」。徒歩による輸送のひとつとして、行進は、場所から場所へと巡るのではなく、ひとつの行程から次の行程へとへと進んでゆく進行(プログレス)という意味を示している

March to the Moon - copy and destroy